思いやりとは想像力(仙台市・若林区)

(4月30日から5月5日までボランティア・ワークに参加されたボランティアの声です)
迷惑にならないか
私のエマオとの関わりはエマオに申込メールをした時から始まる。申込後、エマオでは顔の見えるボランティア活動をするために自転車で往復する形をとっていることを知った。
津波で身内や友人・知人を失った悲しみ、津波から命からがら逃げた恐怖、これからどうやって生活していくかという将来への不安・・・そんな大きな傷を負った被災者の方々に、どういう意識でお手伝いをしていけばよいのか、私は戸惑った。東京では、「東京の人が一番できることは義援金を送ることです」とか「自己満足と達成感の為にやってきたボランティアの為に現場が混乱している」という記事もあった。40代の私に現地で働く力はあるか。迷惑をかけることにならないか。
必要なものは真摯な心構え
葛藤の日々を送りながら思ったことは、もし神様が私の働きを必要としているなら、受入れのメールがくるであろうと。断りがきたら、東京でできることをがんばろうと思った。出発1週間前にエマオから受入れのメールがきた。翌日、エマオにお礼の返答をした後、もうひとつ申し込んだ所から受入れメールがきた。お導きとは不思議なものである。
では、何が必要か。時間を見つけては、ホームセンターと作業服屋で道具を見に行った。シャベルと、のこぎりと、腰袋と、、、。すみにたまった泥は固くて小さいシャベルかな、スコップでだしにくい所もあるだろうから、深い小型シャベルはどうかな。でも、一番必要なもの、それは私の真摯な心構えだった。深く傷ついた人たちの中に、土足で入っていく部分もある。実際に被災していない私たちに、被災した方の心情は頑張っても1割も理解できないかもしれない。それでも、理解する努力しなくては。
ボランティアだからできること
私は、若林区の大きな農家を手伝った。ご夫婦二人で営んでいる。初日の緊張は今も忘れられない。一番緊張したのは、初日昼にトイレを借りた時である。本来、トイレは公設トイレを利用する。しかし、私はあえて、ご自宅のトイレをお借りした。ご家族と少しでも近くで話をしたかったから。少しでも早く、私たちへの不安をといてほしかったから。たくさんのストレスのある中、不要な警戒心をなくしてほしかった。
お宅では細心の注意をして話をした。でしゃばらず、控え目に、共感の思いをもって。人間は感情の生き物である。どんなによいことを100しても、ひとつの不快のことで台無しになることもある。そんなことにならないように。二日目、三日目、だんだんと、ご家族から笑顔が増えてきて、ほっと安心した。お二人の口から、被災した日からの様子をうかがうようになった。

被災して津波警報が流れた後も、車が流されないように、避難先からご主人が歩いては車を走らせ何度か往復して、最後は大きな揺れの中、津波に追われる形で避難したこと。少し遠い所にお住まいの方は、津波にのまれてしまったこと。一緒に逃げた愛犬にあげる餌がなくて、お菓子を与えていたせいか、最近亡くなってしまったとのこと。車で流された人が庭の木に引っ掛かって自衛隊に助けてもらい、新聞にのっていたこと。6畳くらいの物置小屋が庭に流れてきて、出入りする人がいるので泥棒かと思ったら、持ち主で、どうにも動かせないのでそのままにすることになったとのこと。これからビニールハウスで、今までは稲作りの後、野菜を作っていたが、稲はできないので、野菜のみにするとのこと……

奥様は、私たちにとても気を使って下さって、毎日お味噌汁だったり、手作りのお漬物だったり、切干大根だったりもてなして下さり、笑顔とともに疲れた私たちの心と体をいやして下さった。本来頂くものではないが、お気持ちを有り難く頂いた。おいしくペロッとたいらげる若者の様子に、満面微笑みを浮かべていらして、私たちもうれしくなった。
最後の方は休憩時間はいつも一緒にお話しするようになり、一生懸命作業をする私たちと、それを受け入れて下さる気持ちが通じ合っているようだった。作業だけなら、自衛隊にかなわない。でも、ボランティアだからできることもある。仕事ではなく、それぞれの思いをもった仲間たちだから生まれるものがあり、それを被災した方に届けることができると信じている。お二人の暖かいお人柄にふれて、私たちはもっとがんばろうと思った。
東京に帰ってもできることはある。お金もそう。お金は頭でかせぎ、心で使うという。
もっと、がんばらないと。

神様
私たちが飢えずに食することができ、雨露にぬれずに寝ることができることに感謝いたします。
五体満足で活動できることに感謝します。
感じる心を与えて下さったことに感謝します。
私たちが謙虚な気持ちと感謝を忘れることなく、愛と勇気をもって進んでいけるようにお導き下さい。

ボランティア 下重麻里(しもじゅう・まり)

がんばろう東北。フレーフレーエマオ。

1週間、仙台市の若林区と宮城野区で泥出し等のワークをしました。
私にとって仙台は学生時代を過ごした第二の故郷です。泥出ししたお家の方々が喜んで下さって自己満足かもしれませんが、少しでも復興の手助けができたかと思います。
しかし、人間一人の力だけでは非常に微力です。少しでも多くの人々が、泥出しというボランティアに限らず何でもいいので(例えば東北のお酒を飲むとか)、復興支援の活動をして頂けたらと思います。
瓦礫の山を見て涙が止まりませんでした。少しでも早くこの街が復興するように、がんばろう東北。フレーフレーエマオ。

ボランティア 神田

新しい一歩!

エマオとの出合い
仙台の高校を卒業し、関東への大学進学を間近に控えて、私は仙台で震災に遭いました。
最初の1週間は、ライフラインがすべて停止し、近所の水くみのお手伝いや、お年寄りの方のお宅の片づけをお手伝いさせていただいていました。けれども、すぐ近くにいながら、津波被害の地域で役に立てないことを、どこかでもどかしく思っていました。
そんな時に、この東北教区被災者支援センター・エマオと出合いました。そして3月21日から5月4日まで1か月以上、エマオでボランティアをさせていただきました。
初めての被災地で
ボランティア先である七郷に初めて入った時の衝撃は、今も鮮明に覚えています。あまりに無情な光景に言葉を失い、受け入れることができませんでした。にぎわいが戻っている仙台市の中心部から、自転車でわずか40分のところに、まったくの別世界がありました。
農家を営んでおられるボランティア先のお宅の方が「ボケ」の話で笑っていた時に聞いた言葉が、なかでも心に深く残っています。

田植えもできない、トマトもならない、キュウリは出荷できないし、ゴールデン・ウィークに苗を売ることもできない、だから季節もわからない……

そう、おっしゃっていました。聞いているだけでも向き合うのがつらい現実に、帰ってから涙したことも、何度もありました。
優しさに包まれたこと
しかし、悲しいことばかりではありませんでした。
お宅の方とともに笑ったこと。
お宅の方の優しさに包まれたこと。
たくさんの県内外のボランティアさんと出会えたこと。
そして、人の温かみに触れたこと。
先日、自転車でのワークからの帰り道。初めてお会いした方から、励ましの言葉をいただき、ソーセージを添えたパンをいただきました。またバスを待っていた方からも、横を通るときに、励ましの声をかけていただきました。うれしさのあまり涙が出そうでした。
直接ともに活動したスタッフやボランティアの皆さんはもちろん、物資を届けてくださった方や励ましの言葉をかけてくださった方、このページを見て思いを寄せてくださっている方……。
数えきれないほどの優しさ・温かさに支えられていました。
「勉強、がんばって」に励まされ
先程の農家の方はすでに、前を向いて、ポットでトウモロコシを育て始め、泥出しが終わったハウスでは塩抜きを始めています。いま、現地の方々は、確実に一歩一歩、復興の道を歩んでいます。一歩一歩……。
私も、いま、関東での新生活の一歩を踏み出しました。この状況のなか、地元の仙台を離れることに対しては、大きな葛藤がありました。本当に悩みました。

でも、現地も確実に歩み始めている。そして、必ず明るくなっていく。

多くのボランティアの仲間のおかげで、そう信じられるようになったとき、私も自分の道を歩みだそうと思い始めました。
そして、何よりボランティア先の方から言われた、「勉強、がんばって」の言葉に背中を押されました。逆に私が励ましていただきました。
必ず戻るから!
距離は離れていても、毎日現地の「いま」を思っています。一歩一歩の歩みを祈っています。
私ももう下は向かないで、現地の方のように前を向いて、自分の夢に向かって、全力で頑張っていきます!
夏休みには、少し明るくなった宮城に戻って、また、一緒に歩んでいきたいと思っています。
エマオでの
たくさんの方との出会いに
本当に感謝しています
夏休み
また現地でお宅の方と一緒に笑いたいです
エマオにかかわるすべての方に……
心から感謝します
ありがとうございます!!
過去形にはしません
必ず戻るから
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ミーティングにて

ボランティア 石川歩(いしかわ・あゆむ)

人間を動かす原動力は感情である

ワーク6日目。
それまで全く手がつけられておらず、最も悲惨な状況からスタートしたAさん家でのこと。
作業は80歳過ぎのお父さんが手伝ってくれた。
親戚の家に身を寄せているお父さんは、毎朝1時間半かけて自転車でやってくる。
気丈にも片付けを手伝ってくれる。でも気がつくといつも座ってぼんやりと涙を浮かべておられる。
その背中からは(どうすっぺ?これから、どうすっぺ?)という自問が聞こえるようだった。
家の中にはまだ海水が残っていた。
手で探ると、底から泥まみれの農機具、漁道具、大工道具・・・色々な仕事道具が出てくる。
ぼんやり座るお父さんに声を掛けてみる。
「お父さん、お仕事はなにをされてたんですか?」
すると、お父さんは少し時間をおいた後、ニカっと笑って言った。

「なんでもやっでぎだのさ。俺はさ、生きる為にさ、何でもやっでぎだのさ。だから、なんだって出来るよ。」

津波は、そんな必死に生きてきた人々の財産と思い出と誇りを、一瞬にして飲み込み、流し去ってしまった。
荒浜でのワークに参加した10日間は、こうした被災者の方々の生の感情に寄り添う毎日だったように思う。
そして、その感情は私たちにも伝播した。これほどまでに私たちの感情がむき出しになったことは今までないだろう。
私たちは毎日大粒の涙を流し、獣のような声を上げ重い物を運び、床下で必死に仲間を呼び、仲間と抱き合って喜び合った。
お父さんが必死に働いて建てた家には、丸太が突っ込んで大きな穴があいている。この先再び住めるようになるかはわからない。
結局取り壊しになるのかもしれない。
それでも皆が必死に働いていた。
人間を動かす原動力は感情である、そのことに改めて気づかされた10日間だった。

牧野兼三(ボランティア)

ありがとう。

あの日のこと
3月11日 午後2時46分
誰も予期していなかった地震が起きました。
私の部屋の本棚の本はすべて落下。家にある食器は半分以上割れ、ほんの数分で家の中は滅茶苦茶に……、本当に無残な光景でした。
震災当日。
家に居ても、外に居ても、地震から逃げることができず、とにかく“恐怖”。
どうしようもできなかった……。
ただ、家族と親族の無事が何よりうれしかったのを今でも覚えています。
ただ、ひとりを除いて。
電気が復旧し、ライフラインが回復し始めた頃です。私は、友だちに安否確認のメールと、自分の無事を報告するメールをひたすら送っていました。
メールはほぼ返ってきました。
ただ、ひとりを除いて。
3月27日、私は大切な友だちの死を知りました。
彼女は、3月25日に彼女の父親に遺体を確認されたそうです。
何故、彼女だけが亡くなってしまったの?
何故、……彼女が死ななければいけなかったの……?
何故…、……私は生きてるの……?
ただ、彼女の死を信じられなくて、信じたくなくて、
ただただ、今回の震災が憎くてたまらなかった、
言葉にできないくらいツラかった、苦しかった、
何より、無力な自分が……許せなかった……。
一本の電話
彼女の死を知ってからの私の生活は、本当に荒れていました。昼夜逆転、食事は1回、部屋に引きこもり、地震に怯え、夜が怖くて気づいたら毎晩泣いている。肉体的にも精神的にも、本当にボロボロな状態でした。
そんな時、
携帯に電話がかかってきました。
ボランティアを探しているという電話。それが、今回1か月近く活動したエマオでのボランティアとの出合いでした。
初めての被災地ワーク
“自分にも何かできるかもしれない”
そんな希望を持ってのぞんだ初めての被災地でのワーク。
……その希望はすぐに打ち壊されました。
目の前に広がる光景は、テレビでは伝えきれない程の無残な街の姿。想像以上の泥の重み。被災地に居るだけで、ツラく、作業にうまく集中できず、力になれませんでした…。
私は改めて自分が無力な事を実感、悔しくてたまりませんでした。
できることが見つかったとき
次の日、
被災地でのワークができない私に、
「自転車置き場のお掃除頼んでもいいかな?」
ひとつの依頼。
やっと、自分ができることを見つけられた瞬間(とき)でした。
それからというもの、私は“内勤”という形で、ワーカーさんのサポートをすること、自分ができることを夢中でやっていた気がします。
ボランティア受付、自転車のカギ管理やパンク修理、掃除全般、物資の仕分けや輸送……。失敗を繰り返しながら、さまざまな工夫をし、より良い環境作り、雰囲気づくり!
どん底から前向きに
この1か月で、多くの仕事を内勤ワーカーのみんなと一緒にできたことは、私の財産です。
ひとつずつ、みんなで作り上げていくことに少しでも参加できたこと!!私の活動で、ワーカーさん達に素敵な笑顔で“ありがとう!!”って言われたこと!!美味しいご飯を大人数で食べたこと!!
本当に本当に、うれしいことがたくさんありました!!
この1か月で、私は、本当に前向きになれました。
何より、彼女の死を……ちゃんと受け入れられそうです。
与えられた仲間
今回の震災には、本当に多くのものを奪われ、失いました。私は一生許さないし、憎くてたまらないことも変わらないです。
だけど、素敵なモノを手に入れました。
それは、
“仲間”
たくさんの仲間に出逢えて、
たくさんの仲間の優しい“気持ち”“想い”に触れ、
本当に本当に、たくさんの仲間に支えられました。
言葉にできないぐらい、感謝の気持ちでいっぱいです。
仲間に出逢えなかったら、
今のように、前向きになれず、
ただ、震災を憎み続けるだけになっていました。
出会えた仲間全員に心を込めて!!
“ありがとう!!!”

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ボランティア Tさん

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明学東村山チームの活動報告(石巻・5月5日)

5月5日(木)
4日間お世話になった涌谷町「のの岳公民館」の掃除をし、同宿の「東京YMCA」の皆さんとお別れをして、再び石巻に向かいました。
最終日はボランティア・ワークはせず、石巻市内が見下ろせる日和山公園にのぼりました。美しい花が咲き乱れるこの公園から港や町を見下ろすと、津波の被害がいかに大きかったかが実感できます。あまりの光景に泣きだす生徒もいました。

その光景を見つめながら、私たちは日和山で閉会礼拝をしました。礼拝の中で、一人ずつ感想を語り、共にわかちあいました。
<閉会礼拝で語られた生徒の感想(抜粋)>
「自分は、2日目の作業ですごい満足感を持っていました。それが日和山に登った瞬間、自己満足だったんだなと思いました。この震災の事は絶対に忘れないし、これからも何らかの支援をしていきたいです。」
「テレビで見る石巻と、実際に見る石巻は全然違っていました。このボランティア・チームでしたことは、微力だったかも知れないけど、無力じゃないってことを考えさせられました。分かち合いの時を通して、チームの仲間や先生方の話しを聞いて、自分の考えも深まったし、自分の生まれ育った宮城県への思いも強まりました。」
「ワーク出来たのはたった2日でしたが、すごい充実した2日でした。自分たちのしたワークは被災地の役に立ったんだという実感がある一方で、僕たちの出したゴミはこれからどうなるのだろう?、僕たちのワークは本当に役に立ったのだろうか?、という矛盾した考えもあります。その答えはすぐ出せるものじゃなくて、何年もかけて自分なりに答えを見つけてゆきたいと思います。」
「関東にいる時は対岸の火事みたいな感覚でした。関東に帰ると、この経験を忘れてしまいそうで、辛いです。この経験を忘れないで、普通に生活できることの大切さを心に刻んで頑張ってゆきたいと思いました。」
「このボランティアに参加できて良かったと思います。最後のこの光景を見て、本当に微力だけど、無駄じゃなかったと思う。復興には長い時間がかかるから、継続した支援が必要だと思います。今の私に出来ることは、風化してゆかないように、これを伝えることかなと思いました。一昨日のボランティアの時に、リーダーの渡辺さんに『ボランティア楽しい?』と聞かれて、不謹慎な気がして『楽しい』と答えられませんでした。でも今よりもっと多くの経験が出来たら、『楽しい』って言えようになると思うから、これからも継続して関わってゆきたいです。」
「今、この景色を見て、ちょっとずつでもやっていかなくちゃいけないと思いました。私たちは2日しかボランティアできてなくて、もっとやりたいし、またここに来たいという気持ちでいっぱいです。東京に行って普通の生活に戻っていいのかという不安もあって、とにかく伝えてゆかなくちゃいけないと思いました。」
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一人ひとりの色々な思いを分かち合い、お祈りをして閉会礼拝を終えました。お昼前に石巻を出発し、帰りに仙台の東北教区被災者支援センターに立ち寄って挨拶をし、東京へ戻りました。
4日間の短いプログラムでしたが、神さまに祝福された4日間でした。感謝して報告いたします。
佐藤飛文(明治学院東村山高校有志ボランティアチーム団長)
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「うれしい時にも涙はでるんだよー」(仙台市・宮城野区)

大きな情報格差
5月2日に仙台市宮城野区でKさん宅でワークしていた際に、2軒隣に住むと別の「Kさん」に声をかけていただき、そのおうちでも庭の泥かきを手伝うことになりました。
この「Kさんの2軒隣のKさん」のお宅は、おじいちゃんとおばあちゃんの2人暮らし。今までボランティアに手伝ってもらったことはないらしく、社会福祉協議会の存在も知らなかったとのこと。この情報格差に、支援を必要としている人にいかに知らせていくかの難しさをみました。
「うれしい時にも涙はでるんだよー」
2軒隣のKさんは、5月3日から5日までのワークを通して、私たちを本当の子どものように思い、接してくださるまでになりました。私たちが関西・東京からきたことを言うと、しきりに「ありがとう」「すごいね」「偉いね」といってくださる。
そして、おばあちゃんの目からは涙。「うれしい時にも涙はでるんだよー」って。このお宅に偶然にも巡り合わせてくれたことに感謝。おじいちゃんと2人で泥に埋もれた庭をきれいにすることに途方にくれてたんだろう。
家庭菜園の好きなおじいちゃん。初めは早く種まきをしたいがために、泥をとらずに耕してしまっていました。そのため、泥を掘り返していく作業をすることに。ひと苦労だけど、おじいちゃんの家庭菜園への想いが伝わります。元気な栄養いっぱいの野菜や果物が実をつけるように願い、作業の手は休まりません。
「この花が咲いたら、あんたたちのこと思い出すからねー」
作業をしていてうれしいこと。最初は茶色い土と木しかなかった庭に、緑が現れる瞬間があること。泥を探して10センチほど掘ると、リュウノヒゲ(竜の髯)やスズランの芽があちこちから現れるのです。震災から早2か月がたとうと言うのに、泥の中で生きてた命がある。泥も取ったし、雨が流れれば塩もぬけ、きれいな花を咲かせてくれるかな。
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「この花が咲いたら、あんたたちのこと思い出すからねー」と、おばあちゃん。
だから余計に作業は丁寧に進めねば。スコップでガツガツやってダメにしてしまわないように。時間がかかっても大切にしたいこと。
エマオだからできる支援の形

スローワーク
効率性より心のつながりを

それは、ここエマオが大切にしている活動指針とつながります。エマオだからできる支援の形。
Kさんの2軒隣りのKさん、少しだけど力になれたかな。休憩ばっかりして、いろんな気を遣わせてしまったけど、泥かきを手伝わせていただいたこと本当に感謝です。
「助けてくれてありがとねー」と、おばあちゃん。
たくさんのありがたい言葉と、美味しいコーヒーや差し入れなどなど、そしてなにより温かい時間を一緒に過ごさせてくれて、こちらこそ、ありがとうございました、です。
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また畑などで手伝いが必要なときはいつでもご連絡をくださいね。


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庭から運び出した土のうの山と共に。
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七北田川の土手にて。右から濁流が土手を越え、押し寄せた。左にはがれきの山。

ボランティア 岡あゆみ