支える思い

2回参加させていただいた。
1回目は、自分が出来る事を最大限にやりたい
2回目は、エマオを支えたいと考えたからだ
1回目でみた、スタッフの献身的な働き、試行錯誤しながらの運営。
そんな中で、スタッフ個人個人の人間性があふれていて、とても魅了され、引きこまれた。
暖かで、優しく、そして、厳しく。全てが被災者のため、ボランティアに来る人達の足がかりになるため懸命に動いている。このスタッフを支えたいと思った。
震災があって、悲壮感に包まれた。悲しい・切ないそんな単純な言葉では
表せないモヤモヤとした気持ちだ。
しかし、エマオにきて、気持ちが変わった。
津波のあった風景は見るも無残な光景だ。しかし、
現地の方々は、一生懸命で、前向きで、悲しい表情ではなく、
笑顔がある。そんな方々を見て自分も前向きで暖かに生きていいんだと感じた。
悲壮感は薄れた。
また、エマオを通して、色々な人達に会った。
優しく・笑顔があふれ、真摯に行動する、そしてちょっと変わっていて
特徴を持った、そんな人達ばかりだ。
人の入れ替わりが激しいが、それぞれの思い・ボランティア団体への思いを
新しい人に伝えて帰っていく。お別れをするときは、寂しさに包まれる。
色々な考えを持っているが、最終的に同じ目的を持った仲間。
また、いつか会いたいと思ってしまう。
ボランティアをしていると、テレビもない、毎日、おにぎりばかり、寝るところも
たくさん人がいて、いびきが聞こえる。しかしながら、ボランティアをすると
人との触れ合うこと・コミュニケートする重要性、ありがたさを理解する。
今までの所有欲に包まれた価値観が変わる。
人のためだったことが、実は自分のためでもあったことに気づく。
エマオは、ベースがキリスト教ではあるが、キリスト教関係なく活動している。
クリスチャンではないが、キリスト教から勉強すべきことがたくさんあると感じた。
礼拝にも3回出た。牧師ともたくさん話した。聖書ももらった。
固定観念をはずして、宗教と関係なく、
自分を豊かなものとするために聖書を読んでみようと思う。
1回目の帰宅のとき、バスの中で泣いた。色々な思い、感情が整理できなかった。
2回目の帰宅のとき、何かすっきりした感覚だった。内勤として、自転車のパンクの修理
教会などを掃除し、また、来るよと思いながら、バスに乗った。
聖書を取り出し読んだ。そして、3ページ目で眠りについた。
良く眠れた・・・
ボランティア:高田陽平

それでも花は咲いている

 これまで私は全くのボランティア未経験者でした。
 「何か出来る事をしたい」という思いと、「自分に何が出来るのか?」「自分1人が行く事で、何か変わるのか?」という思いがぶつかり、 参加を決めるまで2週間位悩みました。
 1日目、初めて七郷に行った時の事は今でも鮮明に覚えています。
 「こんな事があっていいのか…」それが最初に思った事でした。
 走りながらぼろぼろと涙が出ました。
 その日私が入らせて頂いたお宅はこの日が初日で、主なワークは和室のお掃除とお庭の泥出しでした。
 連日の天気で乾ききった泥は、取ろうとすると砂のように細かく砕け散ります。
 その為砂埃がひどく、強風で目や耳に入るし、顔にも吹き付けてきます。
 お庭の泥出しをしている時、泥に埋もれながらも花が咲いているのを見て
 「こんな中でも花は咲くんだなぁ」と、ぼんやりと思いました。
 お花の周りは手作業にしましょうとの事で、花を傷付けないよう周りは手で泥を取りました。
 「こういう丁寧な作業を喜んで頂けるんですよ」とリーダーに言われ、これがエマオの良さなんだなと思いました。
 4日間このお宅で、仲間と共にワークをさせて頂きましたが、自分がボランティアとしてさせてもらった以上に大切なものを沢山頂きました。
 お家の息子さんが笑顔で話してくれた時とっても嬉しかったし、
 おばあちゃんが作って下さるみそ汁がとっても美味しかった。
 上手く言えないけど、私の中で全てが100%、全力の感情でした。
 最初は本当に不安な気持ちで参加しました。
 正直、あまりの光景にショックを受けました。
 しかし現地の方々、仲間とのワークを通じて自分自身が励まされ、パワーをもらいました。
 本当にもらってばっかりでした。
 1人の力は小さいけど、集まれば大きな力になる!
 今もし参加を迷っている方がいたら、その大きな力の1人になって欲しいと心から願います。
ボランティア:仲田理沙

仙台が第2のふるさとに

支援センターでは現在もボランティア活動を継続し、ボランティアの募集を続けています。
梅雨の季節に入り、屋外での活動ができるかどうかも天候に左右されることが多くなりますが、今月もボランティアの参加を願っております。
なお感染症である咽頭結膜熱、A群溶血性レンサ球菌による咽頭炎の発症が被災地で増えてきておりますので、マスク着用とうがいを徹底することを奨励していきたいと思います。
以下、ボランティアに参加された方の思いをつづっていただきました。
【行こうと決めた理由】
 私は音楽家をしています。震災後、チャリティーのイベントを企画したり、イベントの中で復興についての話をしたりしていました。最初は被災地に行かなくてもこちらでできることがある。そんな風に思っていました。けれど時が経ち、経っても経っても街の復興が進む気配のない報道ばかり。これから先、表現者としてこのままでいいのかという思いから「行って、目で、耳で、心で、身体で感じて来たい!」という気持ちが強くなりました。理由はそんなエゴからですが、被災地と共に身体を動かす事で、広い意味で復興に役に立てるのではないかと思い、参加させて頂きました。
【活動を通じて】
 ボランティアは初めてですが、体力には自信があるのできっと何か役に立てる!何となくがむしゃらな気持ちで来ましたが、実際やらせて頂いた作業は細かな手作業でした。4日間のうち3日半は地域の集会所を担当させて頂きました。
床下に潜り込んで丁寧に泥を取る。家財を丁寧に拭き上げる。庭の汚泥を丁寧に取り除く。庭の土を掘り埋まった瓦礫を丁寧に取り除く。どの作業も丁寧に進めて行きます。やっているうちに、自然と「丁寧に」仕上げて行くことが身に付き、つい細かな作業まで拘ってしまうほどでした。
 最終日の午後は、一人暮らしのおばあちゃんのお宅の屋内の仕上げでした。それまでは集会所担当だったので「ここに地域の人たちがまた集まれたらいいなぁ」という漠然とした気持ちでしたが、個人のお宅ではそこに住む方の顔を想像することができ、「帰って来た時おばあちゃんが笑顔でお家に上がれたら…」おばあちゃんの姿を想像しながら玄関先を磨き上げました。
 地元に戻ってから、その次の日におばあちゃんが家を見に来て喜んで下さった事を聞き、嬉しさで涙が止まらなくなりました。
そして。
 ワークでたくさんの方々と出会いました。
普段の生活や仕事の中では気付けない、自然な人間関係、信頼感がとても心地良く、楽しく過ごす事ができました。年齢も出身地も職業も全然違うけれど、冗談を言い合いながら、相手を思いやりながらのワークは充実した時間でした。
復興には長い時間がかかりそうです。だからこそ焦らず丁寧に、楽しくやっていけたらいいなぁと思います。それには圧倒的に人員が足りません。エマオに限らず、各地にボランティアに行く手段はあると思うので、行かれる人は少しでも行って欲しいです。
【仙台市若林区荒浜という場所】
仙台の華やかな市街地を抜け自転車で被災地に向かうと、あるところから景色が一変します。
観る景色は報道されているものと同じです。違うのは、色々なものが混ざってしまった潮の匂いが鼻を突くということだけ。不思議と自然に受け入れている自分がいました。けれど海を観に行ったときだけは違いました。荒浜の浜辺は、砂が白くて、穏やかで、海は奇麗な色をしていました。この海が街を飲み込んだんだ。3月11日の惨状と、目の前にあるあまりに美しく穏やかな海の風景のギャップに涙が溢れました。
ワーク中、お昼ごはんにお味噌汁を頂きました。小さな海老と、数種類の海藻が入っていてとても美味しく頂きました。
海の恵が凝縮されたような一椀。
街を襲ったのも海、私たちに恵みをくれるのも海。
大自然には叶わないという思いでまた胸が熱くなりました。
けれど街を作ったのは人の手。だから復興も人の手でしか出来ないのだと言う事を学びました。
とても時間がかかるけれど、一つ一つ手で仕上げて行く事の意味を実感し、何度でも来ようという気持ちで被災地を後にしました。
私にとっては、仙台が第二のふるさとです。
地元に帰った今でも、ふと景色が脳裏に蘇ります。早く仙台に帰りたい(笑)!
【私の使命】
 私は音楽家です。これからも地元を中心に、表現者として活動して行くつもりです。
最終日にスタッフの皆さんに我が儘を言って、エマオで小さなライブをやらせて頂きました。(エマオのblogにもUPして頂きました。)
「元気な人たちが元気でいること」
これが復興の第一歩だと思っています。
 今回のエマオライブは被災者の方達ではなく、ワークの仲間たちに元気になってもらいたいという思いからやらせて頂きました。皆さんのお陰で、とても暖かい雰囲気のライブが出来ました。ありがとうございます!これから先、私は地元で、自分が観て、聞いて、感じて来た事を出来るだけたくさんの人に伝えて行きたいと思います。そしていつか、荒浜というふるさとで、歌が歌えたらいいなぁと思っています。ボランティアを受け入れて下さっているエマオとスタッフの皆様に感謝すると共に、これからも安全にワークが出来ますよう、お祈り致します。
ボランティア:柚季 純

今の自分にできること(仙台市・若林区)

(4月18日から5月15日までボランティア・ワークに参加されたボランティアの声です)
今の自分にできること
ひとは1人では何もできない。
多くの繋がりがあり、今の自分がある。

私を4週間もの間ボランティアへ行かせてくれた、主人、ありがとう
私を受け入れてくれた、被災者の方、ありがとう
私を支えてくれた、ボランティアの方、ありがとう
私を行動へと移させてくれた、運営スタッフの方、ありがとう

沢山の手が入って、やっとカタチが出来上がる。

今は何が必要なのか?
今はどこが手薄なのか?
今は何ができるのか?

今いる私は考える。
ボランティアとして、自分がやりたいことに固執しないように。
今いる私は考えた。

たとえ、それが直接的支援でなくとも
たとえ、それがやりがいを感じにくいことでも
それは、必ず被災者支援へと繋がっている
現地にいるからこそできる支援
遠くにいるからこそできる支援
今ここにいるからこそできる支援

自分のやりたいことだけに固執しないように。
今は何が必要とされているのか考えなくてはならない。
小さなことがとても大切であると気付かされた。
すべての繋がりに対し、何が今必要とされているのか考え続けた4週間であった。
こころとからだは繋がっている
被災された方は、こころとともにからだも非常に緊張していた。
私は、3名の方にマッサージをさせてもらった。

朝、体が重くて、痛くてなかなか起きられないAさん。
マッサージをしたら、次の日の朝、朝早くから起きていて、私たちを門で出迎えてくれていた。
日々の作業で体が重く、脚をあげるのも辛いと言ったKさん。
マッサージをしたら、「作業する気になった。」と言って、スコップを持って泥だし作業を始めた。
3週間もの間の片づけで、体も疲れ、人との関わりにもイライラを感じていたAさん。
マッサージをしたら、笑顔になり、会話の量も増え、「あれやって、これやって」と積極的に声をかけてくれた。

体は正直だった。
被災された方の体を触ると沢山の声が聞こえてくる。
どんなに隠していても、痛みがわかってしまう。
触らせてくれて、ありがとう。
私の力は、小さいもので、瞬間的だった。
すぐに地元に戻ってしまう私にできることは、自分でもできるマッサージ法を伝えることだった。

からだが疲れると、こころも疲れる
こころが疲れると、からだも疲れる
少しでもストレスが減らせますように・・・

マッサージをした時の、涙といびきは決して忘れない。

ボランティア 上田理恵(うえだ・りえ)

2週間のワークを終えて(仙台市・若林区)

(4月19日から5月3日までボランティア・ワークに参加されたボランティアの声です)
4月19日から5月3日まで、エマオにお世話になりながら、仙台市若林区の津波被害にあったお家で片付けの手伝いをした。とても充実していた2週間、終わってみるとあっという間だった。毎日がとても刺激的だった。ただ、私が被災者の心に寄り添った支援を行えたかは正直、わからない。
かける言葉もみつからず
ワーク初日、片付けに入って2日目だというTさんのお宅に行った。瓦礫が山と積み上げられ、敷地のなかはどこかしこも泥だらけ、泥をかぶった家財道具が外に出され、前夜の雨にぬれていた。行政に持って行ってもらえるように、とにかく家財道具を外に運び出した。たんす、食器棚、たくさんのそろいの食器、長年使ってきた思い出があるかもしれない品々。がらんとした家に胸が痛んだ。
もう80歳だという腰が曲がったおばあちゃん、よいしょよいしょと奥から片付けものを出してくる。「おばあちゃん、元気ですね、力、ありますねえ。」と声をかけると、

「なんも、おら、農家だから、畑さやってっから、なれてんだ。」

と、にこっとした。でも、たくさんの農機具も全部、水没。「機械、たくさんありますね。田んぼ、広いんですか?」と娘さんに尋ねると、

「田んぼは1町5反、採算は度外視。田んぼするのが好きだから。」

とはにかんだ笑顔を見せた後、

「機械がダメなのもそうだけど、田んぼもねえ・・・。また田んぼできる日なんて来るのかなあ。」

といって顔を曇らせた。かける言葉もなく、ただそこに立っているだけだった。
悪いことばかりではない
Tさんのお家、ボランティアが片づけられるところは終わりに近づき、 最後に庭の隅々まできれいにしようと数人で作業した。塀際の泥をめくってみると、下から青々としたリュウノヒゲと、スイセンの芽が出てきた。スイセンはちょっと緑がうすくて白っぽかったけど、ちゃんと生きていた。咲くといいね、といいながら、ボランティアの仲間のIさんが手で丁寧に泥を取り除いてくれた。
庭の片隅にあった小さな祠(ほこら)。泥まみれだったのを洗っていたら、小さなお稲荷さんが二体、台の角にならんでちょこんと座っていた。背丈ほどの津波に呑まれながら、流されずにいてくれた、きっとお家の守り神。
私のワーク最終日、5月らしい晴天の下、ツバメがたくさん飛んでいた。巣づくりをしていた場所がなくなって戸惑っているツバメもたくさんいただろうし、田んぼも草も木も全部なくなっちゃって、餌の虫も不足するだろうけど、Tさんのお家にも、去年と同じようにツバメが来て雛が巣立つといいな、そう思って青空の下を飛び交うツバメを眺めていた。
次のひとに託して
その頃になると、道路わきのがれきもどんどん撤去されて歩道が出てきたし、Tさん宅前のがれき、家財道具も収集されて、ずいぶんきれいになった。でも、まだまだ周りはがれきと泥だらけ。復興どころか、復旧も生活再建もほど遠い。私には2週間の「非日常」だったけど、被災地の方々にはがれきと泥に囲まれた生活が「日常」として続く。そんな中で帰ってしまうのが本当に心苦しかった。
幸い、ボランティアワーカーは次々に入れ替わるようにやって来ている。老兵は消え去って、次のひとに任せよう。エマオにはたくさんの素敵な人たちが集まっている。そんな中の一員になれたなんて、ほんとに幸せだった。
もう、遠く北海道に帰って来てしまったけど、 私の祈りは常に被災地の方々、エマオの皆さんと共にあります。皆さんの末永い活動の継続をお祈りしております。

ボランティア 野村直也(のむら・なおや)

$「東北教区被災者支援センター」の公式ブログ

取り戻された元気(仙台市・若林区)

(4月20日から5月20日までボランティア・ワークに参加されたボランティアの声です)
4月20日からの1ヶ月間、仙台市若林区でのボランティア活動に参加させていただきました。滞在中はとあるお宅のお手伝いをさせていただきました。このお宅の活動初日となる4月後半某日、話すと涙していたおばあちゃんも、私が帰る頃には冗談を言うくらい元気になりました。
元気を取り戻しているのは人間ばかりではありません。

震災後に植えていたキュウリが、私の活動最終日に収穫できたのです。

$「東北教区被災者支援センター」の公式ブログ
津波で塩水を被った地での栽培、塩味になることが懸念されていましたが、見事に成長をし、収穫をむかえました。肝心なお味ですが、塩の味なんて一切ありませんでした。最高に旨いキュウリでしたよ。
お宅の方が立ち上がり、一生懸命育てたこのキュウリ、一生忘れられない格別な味でした。
実はこのキュウリ、お宅の方のお友達が、津波で全ての農作物が駄目になったことを知って提供した苗から出来た物なのです。色々な人達が助け合い、色々なところで元気を取り戻しています。私も元気を貰いました。これからの人生、精一杯生きて行こうと思います。
キュウリと一緒に植えたトマトはお盆の頃に収穫をむかえるようです。その時の再会を誓って帰路につきました。

ボランティア 福岡大祐(ふくおか・だいすけ)

希望の光(仙台市・若林区)

(5月9日から5月13日までボランティア・ワークに参加されたボランティアの声です)
目に飛び込んできた光景
自転車で向かった現地で、まず目に飛び込んできたのは、瓦礫と真っ青な空。遠くに見える山脈。お墓にうちあげられた車。「ぐにゃり」と曲がったビニールハウス等々・・・しかし、正直なところ、瓦礫の山を見ても涙は出ませんでした。悲しい気持ちになりませんでした。ただ、そこに、「そういう状態がある」という、客観的な事実としてしか、目の前の光景を受け止められなかったのだと思います。
葛藤とやりがい
私は、大きな農家のお宅で、ビニールハウス周辺や市民農場の瓦礫撤去、泥かきを手伝いました。これまで厳しい自然と闘いながら、農業を続けてきたお父さんとお母さんのお宅です。この場所でこれからも生活されるおふたりと、帰る場所がある自分の大きな境遇の違いを感じずにはいられませんでしたが、瓦礫や泥を片付けることで、少しずつ目の前の光景が整理されていくことに、非常に大きなやりがいを感じました。
楽しい食事の時間
ボランティアに参加している仲間と食卓を囲む時間は、とても楽しい時間でした。特にお昼ご飯は、毎日、受け入れ先のお父さんお母さんとともにいただきました。お孫さんのことを嬉しそうに話すお父さんや、恋愛事情を赤裸々に語るメンバーなど、日常的な会話で毎回大いに盛り上がりました。ただ、そうした会話の合間で、

「全部津波で流されてしまったんだぁ」
「この時計、14時46分で止まっていて、そのまま取ってあるんだぁ」

など、厳しい震災の現実も垣間見ました。そのような現実があることを認識しつつも、みんなで食事を楽しむことができる、豊かな時間を共有できたことは私にとって大きな喜びでした。
希望の光
私が参加していた時期には、かろうじて生き残ったビニールハウスで、少しずつキュウリやトマトが育ち始めていました。また、敷地内で運営されている市民農園では、市民の皆さんが少しずつ新しい苗を植え始めていました。私には、震災後に植えられた小さな野菜達がすくすくと育っていく姿が希望の光に見えました。私たちが微力ながらお手伝いしたことで、少しでもこれから生活していくための勇気や希望を持ってもらえたり、何かを始めるきっかけとなってもらえたのなら、これほど嬉しいことはありません。
最後に
帰りの新幹線から仙台や福島の自然豊かな風景を眺めていたら、涙があふれてきました。わずかな時間でしたが、素晴らしい出会いがあり、たくさんのことを経験することができました。参加することができる境遇にいること、送り出してくれた家族や職場の同僚、友人にも感謝したいと思います。自分ひとりでできることはわずかですが、これから先も心にとめて、共に祈り、復興する仙台を見守り続けたいと思います。

ボランティア 小久保望(こくぼ・のぞむ)