老若男女がひとつに(4月25日)

老若男女がひとつに
ほかの方々と同様に、津波によって壊滅的な被害を受けた荒浜の光景を初めて目にしたとき、がく然としました。平和な日常、人々との命や笑顔が一瞬にして奪い去られました……。
けれども同時に、ボランティアの方々の志にとても感動しました。これまで私がここ仙台で出会った誰もが、「東北の人々のために、何かしたい」と心から考えているのです。老若男女あらゆる人々が、誰ひとり欠けることなく、愛という名のもとにひとつになっている…。
私はほんのわずかな間しかここに滞在しませんでしたが、この経験をとおして、日本はこの困難な時を乗り越えることができるとますます強く感じました。もちろん、そのためには多大な時間と労力、粘り強い奮闘が必要となりますが、復興は一歩ずつ、しかし必ず進んでいくでしょう。
力を貸してください!
皆さん、苦しんでいる人々を忘れないでください。この瞬間にも、深い悲しみに直面しておられる方々です。震災が忘れられることのないよう、どうか活動を続けてください。
被災者の方々はあなたの助けを必要としています!
あなたの力を貸してください。笑顔を取り戻させてください!
もしボランティアに来るべきか迷っている方がおられたら、
迷わず、まず参加してみてください。
人々を支える強い礎が長く続くよう願っています!
ONE LOVE!

ボランティア 大河内俊介(おおこうち・しゅんすけ)

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子どもの元気に励まされた(石巻 4月23日)

津波の威力を痛感
今日は、海からわりと近いところの畑の清掃作業をお手伝いをしました。初めて行くお宅で、細い路地に入っていくので道に迷ってしまい、行くまでも大変でした。
最初に、倒れかけた小さな木を捨ててしまおうということだったのですが、根っこが深く残っていて、なかなか倒れず、かなり重労働でした。木を捨てた後は、ひたすら畑の泥をスコップで掘って、持ってきた土のう袋につめて捨てる作業でした。後からアメリカからボランティアの人が2人応援に来てくれたので、かなり効率よく作業することができました。
150ぐらい持ってきた土のう袋のうち、100ぐらいを詰めたところで今日の作業は終わったのですが、まだ泥が結構残っていて、凄まじい量だなと思いました。また、どこから流れてきたのか分からない大量のゴミや、かなり幹の太い木が流れてきていて、今回の津波の強さを痛感しました。

今回は隣接民家でのワーク。ワーク地の状況
子どもの元気に励まされた
お宅のご夫妻はとても親切で、配給のパンやお菓子などをたくさんくださったり、いろいろな話を聞かせてくださいました。また「私のところはまだ大丈夫なほうよ」と言っていたのですが、これほど被害を受けているのに、そのような気持ちになってしまうのかと思うと、とてもやりきれない思いでした。
作業が終わって帰るときに、別のチームが作業していた隣のお宅の5歳ぐらいの子どもがいて、元気にはしゃいでいるのがとてもかわいくて、ボランティアで来ている自分が逆に元気をもらうことができました。皆さんに早く元気になってもらうために、これからも頑張ろうと思います。 

ボランティア 藤島望(ふじしま・のぞむ)


子どもがいる家屋での作業風景

忘れてしまっていた何かが (仙台・若林区)

(4月13日から20日までボランティア・ワークに参加されたボランティアの声です)
ワーク初日の匂いと風景
被災地への検問がある高架下を自転車で走ってくぐったら、
一瞬、海の匂いがしたのと、そして、泥の匂い。
周りは田んぼだったところで、海もまだ見えないのに……。
―― このワーク初日の匂いと風景が忘れられません。
テレビや新聞などで見ていた被災地を自分の目で見て、自分にできることをしようと思い、今回1週間の滞在でボランティアに参加しました。
「頑張ろう」という気持ちが伝わって
はじめの数日は、お庭の泥出し。すでに固まってしまっているところもあり、ジャリもくっついていて、とても地道なワークでした。1日やっても、まだ全然残っている。最終日には、お庭から外へ、物を運びました。泥だらけの家具、もちろん電化製品はもう使えない。どれだけの時間をかけたら、全部の泥をこの被災地から取り出せるのだろう……。いろんなことを考えながらワークをしました。
自分の家でニュースを見たりして、ボランティアに行くと決めました。気持ちが凹んで重荷になったりしないかな……などとも思いましたが、一緒にワークをしたエマオの皆さん、そして、被災された方々の「頑張ろう」という気持ちが伝わってきて、とにかく前向きにワークすることができました。
「FAST ワークでなく SLOW ワーク」
今回初めてこのようなボランティアに参加したのですが、ボランティアの人間として被災地へ行くことの重要性をとても感じました。お金では、泥のかき出しや被災された方のお話に耳を傾けることはできません。
もちろん他にもたくさんあります。センターの片岡先生が、このボランティアは「ファースト・ワークではなく、スロー・ワーク」とおっしゃっていました。
周りみんなが被災者なので、被災された方がなかなかつらいことを吐き出す場所がないという被災地の現実――。被災された方、一人ひとりが持っている話を聞く。そういった面でも、私たちボランティアが大いに助けになるということを、本当に実感しました。
忘れてしまっていた何かが、そこに
雨が降って、荒浜でのワークがなかった日に、宮城野区の社会福祉協議会に行きました。そこで訪ねたお宅のお母さんは、「ボランティアさんに悪くて……」と依頼のほうをなかなかしていなかった方でした。
そこも津波で、おうちの1階は泥がたまっていました。キッチンの泥出しをしたのですが、たくさんの思い出のものなども出てきて、それを見て話をされたり、被災当日のことなどもお話を聞いたりしました。なんだか、自分の母と年代も同じようでしたので、少し、重なるところがあり、1日だけで、ワークが終わってしまったことは、とても胸がいたかったです。
ワークをした日数は、今の復興への全体の時間に対しては、とても短いものでしたが、本当に自分の人生において重要な時間になりました。人と人のつながり、普段の生活では忘れてしまっていた何かが、そこにはありました。
これからも、そのことを忘れずに、そして自分にできることを続けながら、生きていきたいと思います。ぜひ、まだいつかはわかりませんが、またワークに参加したいと思っています。
震災後、思いをこめて絵を描きました。少しでも、心が和んでいただければ……と。

ボランティア 川岸千紘(かわぎし・ちひろ)

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子どもたちに楽しい時間を(石巻 4月21日)

本日(4月21日)は、当支援センターの石巻チームの拠点をご提供くださっている、日本キリスト教団石巻栄光教会の幼稚園でのお手伝いをしました。幼稚園の先生方からも、非常に子どもたちが喜んでくれていたことをお聞きしました。子どもたちに笑顔を届けること、それも私たちができる被災地支援のひとつだと思っております。

現地スタッフ 渡辺真一(わたなべ・しんいち)

子どもたちに楽しい時間を
ボランティア・センターとなっている教会付属の栄光幼稚園は昨日20日が入園式でした。今日から、年少「こりす組」9名、年中「こじか組」21名、年長「ぱんだ組」16名の園児が、新しい幼稚園での生活を始めました。
今回の震災で怖い思いをした園児もおられると小鮒(こぶな)園長からお聞きし、少しでも心をやわらげ、楽しい時間を共有できたら……と思い、先生にお願いして、新米ですが30分ばかり「うさぎ」をテーマに2件、そして「ピカチュウ」と「ディズニーの魔法のキャンディー」のマジックを披露する時間をいただきました。
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うさぎのマジック
駆け寄る子どもたち
1匹の小さなピカチュウが2匹、4匹と増え、最後に大きな1匹のピカチュウに変身するマジックでは、子どもたちがステージに駆け寄り、ディズニーの絵本から本物のキャンディーが飛び出した時には驚きの声が聞こえました。園児と一緒に豊かな時を与えられ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
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駆け寄る子どもたち

ボランティア 細江卓朗(ほそえ・たくろう)

自然の恐ろしさ
幼稚園でのワークの傍ら、もうひとつのグループは日和山(ひよりやま)へ、海岸沿いの町の見学に行きました。震災後2~3日目の町の状況を写真で見ていたのですが、実際の風景を自分の目で見ると、心が押しつぶされるような思いでした。
およそ1時間、津波被害を受けた町を歩いていると、さまざまな光景が目に飛び込んできました。家の2階部分が別の家に乗っかっていたり、家全体が90度ひっくり返っていたり。これが自然の力の恐ろしさなのかと感じました。
思い出の残骸
また、町には保育所があったらしいのですが、残っていたのは園門のみで、門を見ただけではもともと何があったのか分からないほどでした。
保育所の近所にある、被災したお宅の前の道には、おそらくそこの園児であろう子どもの、お絵描き帳がありました。たくさんの思い出がその画用紙に描かれていました。新学期を迎えて、また新しい思い出を描くことを楽しみにしていたんだろうなと思うと、とても悲しい気持ちになりました。

ボランティア 野田祥(のだ・しょう)

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桜咲く日和山からの光景

日和山から見た被災地に降りたときの様子

帰ってきた故郷でのワーク(仙台・若林区)

帰ってきた故郷で
4月11日から15日まで、仙台市若林区でのワークに参加しました。
私は今東京に住んでいますが、もともとは若林区の生まれで、今回5日間伺って作業したお宅から3~4キロほどのところに両親や祖母の家がありました。自分がなじみのあった場所のすぐそばで、津波でたくさんの人が亡くなられたということは、大きなショックでした。
ボランティア・ワークの合間に、最初にその場所を訪れた時は、あまりの光景にそれが自分の目の前にあることが信じられない気持ちでした。5日通って、いま東京に帰ってきても、その光景を現実のものとしてしっかりと受け止めることができません。
自然の大きさ、そして小さな希望
でも、その一面焼け野原のようになった場所にも、残った松は生きているし、そこから少し内陸の、作業にあたったお宅で畑や庭の泥をはがすと、草が芽吹いていて、虫が生きていて、花が泥を持ち上げて咲いていて、人間とは関係のないところにある、自然の大きさのようなものを感じました。
今回の津波、震災で家を失った人たち、愛する人を亡くされた方々の悲しみや苦しみは、私には到底想像がつくものではありませんが、このボランティア・センターの人たちが、そこで生きている人たちに、心を寄せ、ともにあろうとしている姿勢は、この大変な状況下で、ひとつの小さな、でも確かな希望であると感じます。
これからも、がんばってください。私もできる限りのことをします。

ボランティア 森川みなみ(もりかわ・みなみ)

忘れられない底抜けの笑顔(石巻 4月20日)

(19日に石巻に到着し、20日にボランティアに参加された方々の声をお届けします。)
不安がすっと消えた瞬間
今日(4月20日)は2グループに分かれてワークをした。私のグループは、近くのお宅へ行き庭のヘドロの除去。家に着いたときは庭一面に固まったヘドロが敷き詰められていて、池は異臭を出していた。
おうちの方はまだまだ忙しそうに作業をされていたので、「お手伝いします。よろしくお願いします。」と声をかけて作業に入った。作業は思いのほかスムーズに進み、おうちの方とお話しをしながら気を張ることなく行えた。(ヘドロの塊がごそっと取れるとちょっとした達成感があった。)
作業が終わるにつれて「ボランティアの方が来てくれるだけでうれしい」「また津波が来るかと思うと片づけたくないと思っていたけど、みんなのおかげで希望が見えました。」と伺って、被災地に行って自分に何ができるのかと思っていた不安がすっと消えたように感じた。
被災地の方と交わりを持ち、ワークにも充実感を感じた1日になった。明日も頑張るぞ!オーオー!

ボランティア 塩見和樹(しおみ・かずき)

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ワーク終了後、ワーク先のご家族とともに
被災したご家族と出会って
私のグループは石巻の海岸近くのお宅へ訪問した。私自身、初めて海岸近くに立ち寄り、その街中の光景を目にして、悲しみとともに涙があふれた。ここに住む人々の「いつも通り」が突如奪われたその気持ち、その瞬間を考えるとやりきれない気持ちになる。
実際、ワーク地のお宅に入り、ご家族と出会うと、その笑顔にほっとさせられ、こちらが笑顔をもらう。
とまどいが楽しさに
ワークでは、床下にたまった汚泥を、実際に床下にもぐりながらかき出す作業を行った。極めて狭く、暗い中にもぐりこんでの作業に最初とまどいを覚えたが、一度中に入り、同じ仲間とともに中に入って作業を始めると、それは楽しさに変わった。ふざけた会話、真面目な会話を交わし、互いに笑い、考えながらの作業はボランティア仲間のきずなも深められた気がした。また、ご家族とも会話を交わし、その笑顔のなか時折見せる疲れた様子、「どうしたらよいかわからない」という気持ちもうかがうこともできた。その両面の気持ち、どちらも大切にしなければと気付かされる。
忘れられない底抜けの笑顔
しかし、何より、ここのお母さんが「布団も流されて、今はもらった布団が一つしかないけど、老夫婦になって新婚気分が味わえているわ」と言ってくれた、その底抜けの笑顔が忘れられない。被災地の方々はしんどさを抱えながらも、明るさを持って前を向かれている方もいらっしゃる。実際に被災を味わっていない私には、その気持ちに完全に寄り添うことは不可能かもしれない。しかし、私も「ぜひ一緒に前を向いて進む手伝いをしたい」と改めて考えさせてくれたご家族だった。このご家族との出会いに、心から感謝したい。

ボランティア 川江友二(かわえ・ゆうじ)

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床下作業の現場にて
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夜におこなわれた祈り会

取り残された地域も(石巻 4月14日)

(先週の活動報告が寄せられましたので、掲載します。)
日和山の光景
4月14日、午前中は全員で日和山(ひよりやま)に行きました。日和山は津波被害の大きかった地域を一望できる場所です。地震が起こるまでは絶景と言われていたその景色は、津波で破壊されて壊滅的な状態でしたが、まるでテレビの映像を見ているようで、実感がわきませんでした。
いまだ支援の届かないエリアも
午後は、3グループに分かれてワークを行いました。私たちのグループは4人で「渡波(わたのは)」という地域に向かいました。渡波は石巻の中でも被害の大きかった地域のひとつで、そこでの支援を始めるために情報を収集し、物資の配布や炊き出しをするポイントを探すことが目的でした。
石巻市では、石巻駅や市役所周辺の中心部はだいぶ片付いてきましたが、少し外れるとまだまだライフラインや物資、ボランティアによる片付けなども行きとどいていない地域がたくさんあります。そういう地域を細かくまわって行こうという計画でした。
言葉が出ない惨状
途中、午前中に日和山から見た場所を車で通りました。最初は車内から見ていましたが、車から降りて自分たちの足で歩いてみることにしました。日和山から見ていたときにはまったく実感がわかなかった場所でしたが、自分で実際に歩いてみると人々が生活していた痕跡がくっきりと残されていてとても耐えられない気持ちになり涙が出てきました。そこは言葉で表すのもしのびないほどの惨状でした。
重機が入ってがれきを片付けている横で警察官が8人単位くらいでアルバムや貴重品、その他思い出になりそうな品を集めて1か所にまとめていました。「きれいに並べろよ」と責任者の方が言っているのを聞いて少しほっとしました。その傍らでじっと自分の家のがれきが片付けられていくのを見ている被災者の親子、私たちに思いを語ってくれる女性、集められたもののなかから自分や家族に関係のある品を探す男性……。
「死ぬわけにもいかないのよ、絶対にね……」
話をしてくれた女性は、「まだ現実のこととして実感がわかない、涙も出ないのよ」と言っていました。そして今後はどうされるつもりなのかと質問すると、「賃貸は7~8万かかるのでとても年金ではやっていけない、仮設住宅ができるまで避難所で過ごすしかないけれど、それだって十分な数できるわけではないだろうしね。避難所では物を置くスペースもないし、いつ移動しなければいけないかもしれないので、物資はあまりもらえない……。何にもなくなってしまったけど、でも生きたくても生きられなかった人たちが大勢いるのだから、死ぬわけにもいかないのよ、絶対にね……」と。このお話や光景は私にとってはとてもつらく、心が痛むものでした。
ライフラインの断たれた地域も
ここで少し長く時間をとったため、今回は渡波方面に向かうだけ向かってみようということになり、途中の消防署で情報を聞いて教会に戻ることにしました。帰り道、湊町(みなとちょう)のあたりで道に迷ってしまい、たまたまたどり着いた家で物資を配り、必要なものの聞き取りをしました。
偶然でしたが、その周辺は電気、水道、ガスすべて復旧していないということがわかりました。中心部の近くでもまだ物資の行き届いていない家やライフラインが復旧していない場所がたくさんありそうだということがわかり、明日もこの地区を回ってみようということになりました。

ボランティア H.K