帰ってきた故郷でのワーク(仙台・若林区)

帰ってきた故郷で
4月11日から15日まで、仙台市若林区でのワークに参加しました。
私は今東京に住んでいますが、もともとは若林区の生まれで、今回5日間伺って作業したお宅から3~4キロほどのところに両親や祖母の家がありました。自分がなじみのあった場所のすぐそばで、津波でたくさんの人が亡くなられたということは、大きなショックでした。
ボランティア・ワークの合間に、最初にその場所を訪れた時は、あまりの光景にそれが自分の目の前にあることが信じられない気持ちでした。5日通って、いま東京に帰ってきても、その光景を現実のものとしてしっかりと受け止めることができません。
自然の大きさ、そして小さな希望
でも、その一面焼け野原のようになった場所にも、残った松は生きているし、そこから少し内陸の、作業にあたったお宅で畑や庭の泥をはがすと、草が芽吹いていて、虫が生きていて、花が泥を持ち上げて咲いていて、人間とは関係のないところにある、自然の大きさのようなものを感じました。
今回の津波、震災で家を失った人たち、愛する人を亡くされた方々の悲しみや苦しみは、私には到底想像がつくものではありませんが、このボランティア・センターの人たちが、そこで生きている人たちに、心を寄せ、ともにあろうとしている姿勢は、この大変な状況下で、ひとつの小さな、でも確かな希望であると感じます。
これからも、がんばってください。私もできる限りのことをします。

ボランティア 森川みなみ(もりかわ・みなみ)

忘れられない底抜けの笑顔(石巻 4月20日)

(19日に石巻に到着し、20日にボランティアに参加された方々の声をお届けします。)
不安がすっと消えた瞬間
今日(4月20日)は2グループに分かれてワークをした。私のグループは、近くのお宅へ行き庭のヘドロの除去。家に着いたときは庭一面に固まったヘドロが敷き詰められていて、池は異臭を出していた。
おうちの方はまだまだ忙しそうに作業をされていたので、「お手伝いします。よろしくお願いします。」と声をかけて作業に入った。作業は思いのほかスムーズに進み、おうちの方とお話しをしながら気を張ることなく行えた。(ヘドロの塊がごそっと取れるとちょっとした達成感があった。)
作業が終わるにつれて「ボランティアの方が来てくれるだけでうれしい」「また津波が来るかと思うと片づけたくないと思っていたけど、みんなのおかげで希望が見えました。」と伺って、被災地に行って自分に何ができるのかと思っていた不安がすっと消えたように感じた。
被災地の方と交わりを持ち、ワークにも充実感を感じた1日になった。明日も頑張るぞ!オーオー!

ボランティア 塩見和樹(しおみ・かずき)

「東北教区被災者支援センター」の公式ブログ
ワーク終了後、ワーク先のご家族とともに
被災したご家族と出会って
私のグループは石巻の海岸近くのお宅へ訪問した。私自身、初めて海岸近くに立ち寄り、その街中の光景を目にして、悲しみとともに涙があふれた。ここに住む人々の「いつも通り」が突如奪われたその気持ち、その瞬間を考えるとやりきれない気持ちになる。
実際、ワーク地のお宅に入り、ご家族と出会うと、その笑顔にほっとさせられ、こちらが笑顔をもらう。
とまどいが楽しさに
ワークでは、床下にたまった汚泥を、実際に床下にもぐりながらかき出す作業を行った。極めて狭く、暗い中にもぐりこんでの作業に最初とまどいを覚えたが、一度中に入り、同じ仲間とともに中に入って作業を始めると、それは楽しさに変わった。ふざけた会話、真面目な会話を交わし、互いに笑い、考えながらの作業はボランティア仲間のきずなも深められた気がした。また、ご家族とも会話を交わし、その笑顔のなか時折見せる疲れた様子、「どうしたらよいかわからない」という気持ちもうかがうこともできた。その両面の気持ち、どちらも大切にしなければと気付かされる。
忘れられない底抜けの笑顔
しかし、何より、ここのお母さんが「布団も流されて、今はもらった布団が一つしかないけど、老夫婦になって新婚気分が味わえているわ」と言ってくれた、その底抜けの笑顔が忘れられない。被災地の方々はしんどさを抱えながらも、明るさを持って前を向かれている方もいらっしゃる。実際に被災を味わっていない私には、その気持ちに完全に寄り添うことは不可能かもしれない。しかし、私も「ぜひ一緒に前を向いて進む手伝いをしたい」と改めて考えさせてくれたご家族だった。このご家族との出会いに、心から感謝したい。

ボランティア 川江友二(かわえ・ゆうじ)

「東北教区被災者支援センター」の公式ブログ
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床下作業の現場にて
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夜におこなわれた祈り会

取り残された地域も(石巻 4月14日)

(先週の活動報告が寄せられましたので、掲載します。)
日和山の光景
4月14日、午前中は全員で日和山(ひよりやま)に行きました。日和山は津波被害の大きかった地域を一望できる場所です。地震が起こるまでは絶景と言われていたその景色は、津波で破壊されて壊滅的な状態でしたが、まるでテレビの映像を見ているようで、実感がわきませんでした。
いまだ支援の届かないエリアも
午後は、3グループに分かれてワークを行いました。私たちのグループは4人で「渡波(わたのは)」という地域に向かいました。渡波は石巻の中でも被害の大きかった地域のひとつで、そこでの支援を始めるために情報を収集し、物資の配布や炊き出しをするポイントを探すことが目的でした。
石巻市では、石巻駅や市役所周辺の中心部はだいぶ片付いてきましたが、少し外れるとまだまだライフラインや物資、ボランティアによる片付けなども行きとどいていない地域がたくさんあります。そういう地域を細かくまわって行こうという計画でした。
言葉が出ない惨状
途中、午前中に日和山から見た場所を車で通りました。最初は車内から見ていましたが、車から降りて自分たちの足で歩いてみることにしました。日和山から見ていたときにはまったく実感がわかなかった場所でしたが、自分で実際に歩いてみると人々が生活していた痕跡がくっきりと残されていてとても耐えられない気持ちになり涙が出てきました。そこは言葉で表すのもしのびないほどの惨状でした。
重機が入ってがれきを片付けている横で警察官が8人単位くらいでアルバムや貴重品、その他思い出になりそうな品を集めて1か所にまとめていました。「きれいに並べろよ」と責任者の方が言っているのを聞いて少しほっとしました。その傍らでじっと自分の家のがれきが片付けられていくのを見ている被災者の親子、私たちに思いを語ってくれる女性、集められたもののなかから自分や家族に関係のある品を探す男性……。
「死ぬわけにもいかないのよ、絶対にね……」
話をしてくれた女性は、「まだ現実のこととして実感がわかない、涙も出ないのよ」と言っていました。そして今後はどうされるつもりなのかと質問すると、「賃貸は7~8万かかるのでとても年金ではやっていけない、仮設住宅ができるまで避難所で過ごすしかないけれど、それだって十分な数できるわけではないだろうしね。避難所では物を置くスペースもないし、いつ移動しなければいけないかもしれないので、物資はあまりもらえない……。何にもなくなってしまったけど、でも生きたくても生きられなかった人たちが大勢いるのだから、死ぬわけにもいかないのよ、絶対にね……」と。このお話や光景は私にとってはとてもつらく、心が痛むものでした。
ライフラインの断たれた地域も
ここで少し長く時間をとったため、今回は渡波方面に向かうだけ向かってみようということになり、途中の消防署で情報を聞いて教会に戻ることにしました。帰り道、湊町(みなとちょう)のあたりで道に迷ってしまい、たまたまたどり着いた家で物資を配り、必要なものの聞き取りをしました。
偶然でしたが、その周辺は電気、水道、ガスすべて復旧していないということがわかりました。中心部の近くでもまだ物資の行き届いていない家やライフラインが復旧していない場所がたくさんありそうだということがわかり、明日もこの地区を回ってみようということになりました。

ボランティア H.K

曇りのち雨のち雪!(石巻 4月19日)

男性には負けられない
曇りのち雨のち雪! 今日(4月19日)は、段ボールの出荷工場へ手伝いに行きました。ヘドロにまみれ、津波でごった返しになった段ボールは、一束を持ち上げるのがやっと。それを一輪車に乗せ、庭へ運び出します。庭には、すでにものすごい量の段ボールが廃棄され山となっているので、ダーッと一輪車ごと駆け上がって、さらに上へ奥へと棄てに行かなければなりませんでした。
かなりタフでしたが、男性には引けをとりたくないという意地と、最後は女だから途中でスローダウンしても許されるだろうという相矛盾した気持ちで、なんとか今日を乗り切りました。
ゼロ地点にもほど遠く……
それにしても、大人7人が加わりあれだけしか片付かなかったということは、普段は家族3人、どんなに大変かと思いました。震災から1か月以上たった今も、このような泥出し・廃棄作業に毎日追われ、まだゼロ地点にも立っていないような状態。さらに地震によって地盤沈下が起こり、潮が満ちると家の庭まで水が入ってくるそうです。
それでも、明るく振る舞い、シチューまで用意してもてなしてくださったご家族。最後の「本当にありがとうございました!」の喜びの笑顔に、今日も来て良かったと心から思いました。それにしても……、まさかこんな時期に雪が降るとは驚きです。

ボランティア アキレオス あき子

7日間の活動を終えて(仙台・若林区)

私は仙台市若林区で、津波が運んできた粘土化した土を、住宅の庭先、床下から除去するという作業を行っていました。力のいる作業でした。自分は一軒のおうちの庭先の粘土質の土の除去を、4日間を通して仲間と行いました。
4日間も通うと、「明日はここをキレイにしよう、あの道具で取り除こう」など、このおうちの庭に対しての責任感を感じて、人ごととは思えなくなっていきます。おうちの中にもヘドロを含んだ汚泥は入り込んで、元通りになるまでには相当時間がかかることが予想されます。
経験のない者には測り知れない思いで、被災者の方々は現実に立ち向かっておられます。このような逆境にあっても、この現実に屈することなく前向きに歩み始めていらっしゃる精神力の強さを感じました。
時がたっても、被災された方々の事を忘れることなく、息の長い支援を何らかの形で続けて行かれればと思います。
                                                

ボランティア 飯野 久美子(いいの・くみこ/阿佐ヶ谷教会)

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都内での震災ボランティア報告(東京 4月17日)

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当支援センターへ多くのボランティアを派遣しているSCF(東京都・中野)で、本日4月17日(土)、4月夕食会とともに、震災ボランティアのミニ報告会が行われました。40人を超える若者があつまり、SCFや自由学園から仙台へボランティアに訪れた同世代の人々の報告に耳を傾けました。


想いは仙台に…
ボランティアの仲間たちと気持ちを分かち合って、やっぱり皆の想いは、仙台にあるのだと再確認しました。再び仙台に戻る日のことばかり考えています。今仙台にいる仲間、ありがとう!!

野田沢(のだ・たく/SCF主事)

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「力」を届ける仕事
今日はボランティアに行ったメンバーと集まったSCFの仲間で報告会を行いました。5月に本格的な報告会があるので、今回は実際に行ったメンバーが、ひとこと、ふたこと感想を話すという形でした。
話の中で共通していたのが、ボランティアで、私たちは「ただの労働力」ではなく「力」を届けているのだということでした。重機であっという間に片付けることもできることでも、仲間同士が力を出し合って被災者の方々と痛みを分かち合いながら、お手伝いしていく。機械ではできない、人だからできることを――。
今回の報告会で、多くの人が力不足を感じながらも、復興に向けて着実に力を合わせていくのだということを感じました。ボランティアでたくさんのステキな出会いをもらい、成長させられたこと、感謝します!

田原菜木(たはら・なぎ/大学4年生)

一人ひとり、想いを寄せて
SCFで報告会がありました。写真を見たり、体験したこと・感じたことを聞いたりしました。全員での分かち合いの時間では、一人ひとりが被災者の方々に想いを寄せていると感じました。想いはあっても、現地に行けない人がたくさん居ることもわかりました。
被災地での経験はわたしにとって、とても重いものでした。それでも、教会で高齢の方に、「自分は想いがあっても、被災地に行くことはできない。だから、若いあなたが行ってくれてよかった」と言われたとき、本当に行けてよかったなと思いました。今日は、そのことをまた思い出すことができました。
ボランティアから帰ってきたメンバーは、それぞれの生活に戻り、被災地で感じたこと、考えたことを消化していこうとしています。私はまだみんなのようには、被災地で経験した気持ちを整理しきれていません。感じたことを自分なりに消化するにはもう少し時間が必要です。
ボランティアを終えて帰ってくると、分かち合いの場がなかなか持てないので、今日は参加できて良かったと思いました。

菅野菜穂(すがの・なほ/日野台教会 青年)


(報告会の様子。参加者が感じたことを分かち合いました。)

内勤のボランティア報告(仙台・青葉区)

「被害に負けず頑張ってください。」送られてきたカイロにはそんなメッセージが貼り付けられていました。
私はここしばらくの間、センターにとどまって活動する内勤のボランティアをしています。その仕事は、新規でセンターを訪れる方のボランティア受付や、毎日泥や砂がたまる自転車置き場の清掃、食事の用意など、外で活動するワーカーに比べれば震災の被害に直接触れるような活動内容ではありません。しかし、送られてくる物資を仕分けする際に時々添えられている温かい励ましのメッセージを目にすると、直接それを受け取る側ではない私たちまで元気をもらえる気がします。
「微力でも力になりたい」「心から復興を祈っている」全国から届く願いを感じながら、私も日々自分ができるこの活動でかげながらセンターを支えて行ければと思います。   

ボランティア 真壁柚香(まかべ・ゆか/宮城学院 2年)

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