自由学園メンバーの感想 その1(石巻・仙台)

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目が覚めた
テレビなどのニュースは人ごとだと思っていたけど、荒浜や壊れた家を見て、目が覚めたような感じがした。 

石川(いしかわ)

避難所で一泊…でも来てよかった
今回さそってくれなければ、ボランティアに行きたいと思いつつも参加することはなかったと思います。石巻に行き、津波の被害にあった人のお話を聞くことができて、本当に貴重な経験をしました。
あいにく大きな地震があり、避難所で一泊し、早々に仙台に戻ってくるということもありました。それでも、この場所に足を踏み入れることができてよかったと思いました。
ぜひまた来て、少しでもお手伝いできたらと思っています。 

木村(きむら)

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同じ意思を持った仲間に
ここに来て見たもの、聞いたこと、出会う人にいろんなことを教えてもらいました。今まで他人だった人と、同じ意志を持って集まって、ここで出会えてよかったです。
ボランティアに参加したくてもできない人がたくさんいる中で、自分が参加できたこと、この活動と自分を支えてくださっている多くの方々に感謝しています。 

酒井(さかい)

想像を絶する体験
想像を絶するという体験を初めてしたのだと思います。特に石巻でのワークは、視覚だけでなく、聴覚や嗅覚からも多くのことを感じることができました。津波というのは本当に恐ろしい。
そんな中でも、被害を受けた方々は口をそろえて「前向きに」と言うのに驚いたと同時に、僕らボランティアも「ボランティアと被災者」という一方的な関係でなく、ともに復興を進める友として、特に意識しすぎず、ボランティア活動を続けることが大切だと感じました。
今回参加できて本当によかったです。これからも継続して活動が続けられればと思います。ありがとうございました。 

宮本(みやもと)

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自由学園のみんな、ありがとう!

4月6日からボランティアに来てくれていた自由学園のメンバーが、11日にワークを終え、東京へと戻っていきました。
若い力と、明るい空気を与えてくれたメンバーのみんなには、本当に感謝しています。それぞれに感じることがあり、受け止めることの多い毎日だったと思います。こちらで過ごした日々や、出会った人たちのことを覚えつつ、新しい生活へと踏み出してください。
自由学園のメンバーが、ここでの生活で得た感想は、順次当ブログで掲載していきます。
みんな、本当にどうもありがとう!
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「手」を差し出して

仙台市宮城野区の岡田で、3日間にわたって被災民家に流れついた浴槽・ドア・材木などを撤去し、トラックまで何十往復もしてくれた青年ボランティアの一人が感想を寄せてくれました。


昼食時、お伺いしたお宅の娘さんが不意に「もし、ドラえもんの『スモールライト』があったら、こんな作業は楽なのに……」とつぶやくのを耳にしました。
今日のボランティアの仕事内容は、玄関先の車のタイヤに匹敵するぐらいの重さの木材の撤去作業であったために、その言葉に納得してしまいました。
しかし、急にむなしさを感じずにはいられませんでした。それは、娘さんが人でも重機でもなく「ドラえもん」という、架空のものを指したからです。
そこに被災者たちの本音が垣間見えた気がしました。言葉にできない、つらい状況であるために出た言葉――。
自分は、ドラえもんにはなれないけれど、両手を差し出すことはできます。ですから、一心不乱に、この両手を差し出したいと思います。
さあ、明日も頑張ります!

ボランティア 佐藤圭一郎(さとう・けいいちろう/18歳)

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仙台市宮城野区・岡田でのワーク

ボランティアの必要性を痛感(仙台・宮城野区 4月10日)

私たちは今日、若林区・七郷のワーク隊とは別に、宮城野区の災害ボランティア・センターでワークを行ってきました。
「半官半民」の社会福祉協議会が運営するボランティア・センターは毎日多くのボランティアが登録に訪れ、ワークの依頼が来るたびにボランティアが挙手で立候補して派遣されるという流れで、依頼のあった家庭に向かいます。
今日私たちは2軒の家の片づけに行きました。1軒目は宮城野区・燕沢(つばめざわ)でひとり暮らしをするおばあさんのお宅でした。家の中は額に入った絵が落ち、ガラスが飛散し、庭には屋根から落ちた瓦が散乱していました。私たちはまず、部屋の片づけをした後に庭の瓦を片づける作業をしました。作業を行う中で、お婆さんは私たちに何度も話しかけてきて、余震への不安や影響をとても誰かに伝えたいという気持ちが伝わってきました。膝や腰が悪いにもかかわらず、2階に上がり作業を手伝おうとしてくれ、作業をするたびに「すみません」という言葉をかけてくださり、私たちとしては気を使ってくださることが、かえって申し訳なく感じてしまっていました。
2軒目も同じく宮城野区・岩切に住む一人暮らしのおばあさんのお宅でした。お宅は一軒家で、窓枠から外れていたガラス戸4枚が家のゆがみのためはまらず、倒れてしまう状態でした。2階は本棚が倒れ、ガラスや本などが散乱して足の踏み場もなく、何から手をつけるべきか困惑するような状態でした。とりあえず、間に合わせで家にあった段ボール・ガムテープを使い、ガラス戸を応急処置で倒れないようにするしかなかったです。
このお宅のおばあさんは、被害が大きいにもかかわらず他の被災者や私たちのことを気にかけ、ボランティア派遣依頼を遠慮していたそうです。そのためか、遠慮した依頼内容と現場の仕事量はまったく異なっていました。この女性のように遠慮をしてしまってボランティアの派遣依頼をしない被災者の方々が多くいて、潜在的なボランティア需要がたくさんあるのではと感じた一日でした。

ボランティア 本田昂平(ほんだ・こうへい/大学3年生)
寺内大喜(てらうち・だいき/大学4年生)

大余震を経験して(石巻 4月7日)

被害の傷跡
4月7日は、家の泥出しと畳と家具の搬出を行う班と、海産物問屋の冷蔵倉庫の清掃を行う班の2チームに分かれて作業しました。
冷蔵倉庫では、建家に穴が開くほど津波の被害にあっており、中にあった商品のワカメや昆布が泥を被ってしまっていました。その海産物の搬出と倉庫の周りの清掃が主なワークでした。
倉庫と海の間には防砂林の松林があったのですが、小さな松は流されており、津波の勢いはほとんど軽減できていなかったようです。道路上の車も倉庫に突っ込んでおり、付近一帯はまだまだ被害の傷跡が見られました。
大余震を経験して
1日のワークが終えて夕食をとった後、そろそろ寝ようかと思っていた23時半頃に大余震が起きました。最初は小さな余震かと思い、みんな話しを続けていましたが、窓ガラスが大きな音をたて、物の入った段ボールまで動いていたので、地震の大きさに驚きました。
電気もとまり、辺りがよく見えないなか、急いで身の安全と出口の確認をしたあと、毛布などの防寒具を持って近くの避難所に行くことになりました。避難所には3月11日の地震から避難し続けている人々に加えて、さらにおびただしい人数が避難していました。余震が続くなか、ワーカー全員で避難所の隅で一晩明かすことになりました。避難所では、パニックになっている人も見られ、津波警報のサイレンが不気味に響いていたことが耳に残っています。
翌日、(活動拠点である)石巻栄光教会に帰ってくると、水もとまっていました。朝ご飯まえに何人かで水くみに行きました。給水がとまると水を得るのにもこんなに苦労するのだと痛感しました。
そして、ライフラインが復旧しておらず、余震の恐れもあるため、安定した状況になるまでボランティア・メンバーをエマオに帰還させることにしました。8日の午前8時40分ごろに電気は復旧したものの、インターネット・携帯電話は通じにくい状況でした。
しかし、翌日9日にはそれらも回復し、水道も石巻栄光教会では復旧しました。余震も回数が減ってきており、街もだんだんと落ち着いてきたので、明日の11日からはまたボランティア・メンバーを石巻栄光教会で受け入れ、ワークを再開する予定です。

ボランティア・スタッフ 梅川正太(うめかわ・しょうた)

エッセイ: 「ボランティアしてあげる」ではなく

「ボランティアしてあげる」ではなく
私は、主に七郷のワークに参加しています。地震から3週間くらいたちましたが、みんなで自転車で向かう道中にもまだマンホールが上がっていたり歩道が割れていたりと、地震の被害が見えます。また、東部高速道路の下をくぐり抜けると地震よりも、津波の被害が大きくガレキの山が道沿いに積み上がっています。最近になって、やっと自衛隊や行政の手が入るようになったみたいです。
七郷は古い農家のお宅が多いので、大きな庭と納屋の片付けをするのがとても大変そうです。漂流物や家財や農具の搬出や、泥出しや、掃除はとても重労働です。ボランティアを受け入れている方のお宅に行くと毎日の途方もない作業で疲れた顔が見受けられ、会話をしても震災の話ばかりになってしまいます。
しかし、その中でもみんなで作業しながら話して笑い合ったりすることで、悲しみやつらさを分け合って前向きな気持ちで頑張ろう、と思っていただけてるようです。地道で単純な作業が多いですが、自分の家のように丁寧にすることで「ボランティアしてあげている」のではなく「協力して活動している」ということをいつも心に置いておきたいです。これからも微力ではありますが細く長く、被災者の方々と関わっていくことが一番大事なことなのだと思います。
「ボランティア」というつながり
個人的には、私も仙台在住なので親戚や知人もみんな被災者であり、亡くなった同級生や安否が不明の友だちもいます。慣れ親しんできた風景が完全に破壊されてしまった地域もあります。時間がたっても慣れることがないこの感覚と向き合うために、私は「ボランティア」という形でたくさんの同郷の方とつながり、協力し合っていきたいなと強く思います。
県外からのボランティアの方には、つらい悲しい現場だけではなく、宮城県の土地や人の良さに触れてもらって、親しみを持ってこれから先ももっといろんな形で関わってもらえたら嬉しいです。
これからもっとたくさんの人の笑顔を見られるように頑張っていきたいです。

ボランティア 上野幸奈(うえの・ゆきな)

岩手に派遣されて(岩手県・大船渡市 4月2~5日)

私は4月2日から5日まで、岩手県・大船渡(おおふなと)市にある日本キリスト教団・大船渡教会へボランティアとして派遣されました。
主な作業内容は、同教会に届く大量の物資の仕分け・整理です。大船渡教会は、近隣被災者への支援活動として、集まった救援物資を近隣の方々に提供する働きをしています。信徒、被災の大小などに関わらず教会を訪れた方全員に物資を提供しているため、平日は常に多くの方が訪れていました。
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一般にも開かれた救援物資提供
大量の物資を受け渡すのは労力がいることでしたが、牧師先生や会員の方は地域に信頼される教会を目指し、朝早くから活動していらっしゃいます。大船渡は、支援センターのあるエマオから離れた場所ですが、この出会いを忘れず、長期的な関わりをもっていきたいと感じています。
また、岩手で見た被災地の風景は、強く脳裏に焼きつきました。陸前高田(りくぜんたかた)、釜石(かまいし)、下閉伊郡(しもへいぐん)。エマオ付近の被災地も十分目を覆いたくなるものですが、リアス式海岸沿いを北へ上っていく中で急に現れる惨状には、言葉を失いました。しかし同時に、これらの現実を受け止めた上で、どのような心構えで活動に取り組むか、強く問われた気がしました。
この岩手での活動で得た経験・感情を生かしたボランティアを続けていきたいと思います。

SCF派遣ボランティア 真壁優人(まかべ・ゆうと)